教育思想の現代的表皮をはがしてその古層 へと降り立ってみると、《教育(education)》は人が子を産み、育み、その〈生〉を守り伝えてきた営みそのものだったという興味深い事実につきあ たります。ではいつから《教育》は国家や社会を統治し、人間の能力を引き出す有効な手段だと想念されるようになったのでしょう?
私が少しこだわってみたいと思っているのは、このような人間を統治する思考に、教育言説が接続されることが、いつ、いかにして可能になったのかという問 いです。《教育》について語ることは、どのような歴史的経緯のなかで可能になっているのか? その条件の歴史的系譜調べ。まずは人がすぐに思い浮かべるよ うな学校や学力をカッコにくくり、近代、中世、古代へとためらうことなくさかのぼり、多種多様でありえた《教育》の語りの型を発掘し、今日、《教育》が語 られる自明な文脈を脱構築していくことをめざしています。