北海道大学/大学院教育学研究院/教育学部
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学校教育論講座

教育思想

テーマ

西洋における教育概念生成と変成に関する歴史的言説分析

紹介

言葉は思想である。教育思想研究は、〈教育(education)〉という言葉を軸に展開した言説に対する歴史的分析である。教育に関する思考を可能にしている諸概念――例えば、能力、発達、学習、教師/生徒、精神/身体、知育/徳育/体育……――の生成と変成についての系譜学の試みとも言いうる。教育に関連した諸概念の用法や文脈の系列、概念の布置関係について、有名無名の文献を駆使しながらテクストに即して検討し、明らかにしていくことが課題である。
 日頃、無自覚のままに語り出される言葉にも一定の〈型〉があり、いつ、誰が、どのような文脈でその言葉を発したのかについてたどり直してみると、これまでとは違った世界を垣間見ることができる。教育思想研究とはそのような言葉の歴史的吟味を通して、〈教育〉の自明性を問い直す作業であり、〈人間をまもる読書〉(G・スタイナー)、すなわち生きつづけている死者とのたえざる対話を通して、〈教育〉について考えることである。

教員の紹介

教授・白水 浩信 

 私の研究の出発点は、教育が統治と緊密に結びつくようになった契機、18世紀のポリス論分析にある。ポリス論とは治安・衛生・救貧をはじめとした〈生〉を統治する内務行政の総体であり、公教育の構想もまた、ポリス的配慮の一つとして、治安と福祉という両義的な配慮のなかで立ち上がり、今日にいたっている。現今の教育や福祉に携わる行政実務家の思惟は、なおもこのポリス的配慮の隠微な影響下にある。
 ここ数年、私がこだわっているのは、この統治に関する思想の系譜と、そこから眺めた教育言説の生成と変成を思想史的に再検証することである。いかにして君主なり、聖職者なり、あるいは役人がすべての人間を統治されるべきであると考えるにいたったのか?そしていつ、どのような歴史的背景のなかで、技術のなかの技術(ars atrium)として、人間の変容をめざす「教育」が統治論の一翼を担う形で登場するにいたったのか?近代ポリス論を読解していく過程で次第に分かってきたのは、どうやら「教育」と無造作に訳され続けてきたeducation は、本来、子どもを食べさせ、大きくする営み、〈生〉を養い育てることを意味していたということ、そしてその用法が15世紀頃から西欧統治論に移植される過程で変容しはじめ、19世紀にはeducation は人間の能力(とりわけ精神的能力)を引き出すことを原義とするかのような俗説が蔓延するようになったということである。
 現代はさしずめ、人間の営みが能力の現れとして分析・計測しなおされ、人間を有能化すると称する技術が増殖し、教育に関する思想が、能力言説として際限なく自己展開している局面にあると言えよう。こうした近代教育言説を脱構築すべく、敢えて時流に背を向け、education の古層にまで掘り進め、〈生〉を養い育てる営みとして再定位する、その基礎となるような教育思想研究を鍛えていきたい。


最近の研究成果:

  • 「Disciplinaの系譜学―サン・ヴィクトルのフーゴー『修錬者の教導』を読む」『北海道大学大学院教育学研究院紀要』、第139号、2021年12月、1-68頁
  • 「educationの初出 : ヴァンサン・ド・ボーヴェ『貴族の子らの教養』フランス語訳」『北海道大学大学院教育学研究院紀要』、第136号、2020年6月、93-119頁
  • 「教育言説揺籃期のéducationなき教育論―ジャック・アミヨとプルタルコス『子どもの教育について』」『思想』(岩波書店)、第1126号、2018年2月、31-43頁
  • 「ラテン語文法書におけるeducareの語釈と用例―ノニウス・マルケッルス『学説集』とエウテュケス『動詞論』を中心に」『北海道大学大学院教育学研究院紀要』、第126号、2016年、139-155頁
  • 「教育・福祉・統治性―能力言説から養生へ」『教育学研究』第78巻第2号、2011年、50-60頁
  • 『ポリスとしての教育―教育的統治のアルケオロジー』東京大学出版会、2004年

 

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