敗戦75年の節目にあたる2020年は、もはや戦後とは呼べない時代となった。およそ2000年代中盤に、時代は転換した。「教育基本法」の改正、義務教育の国庫補助制度の改変、教育委員会制度の改変、教育振興基本計画を実施するための体制の整備は、大きく学校現場を変えた。
同時期にピークを迎えた日本の総人口は、子どもを生み育てる環境の歴史的不備のもとで、減少の一途をたどっている。この減少は激烈な地域差を伴い、地域社会の「壊死」が喧伝される時代となった。
時を同じくして、「学校統廃合」を推進するための様々な措置が着手され始めた。戦後日本の教育における地域格差を克服する営みは、解除されるだけでなく促進される方向に変化した。
本専門分野では、学校は地域社会に浮かんだ島のような存在であると考えている。このことは特に地域格差が拡大する現在、重要な視点となる。
北海道をフィールドに、中等教育そのものの改変の進行をにらみながら、地域、中学校・高等学校、中学生・高校生への様々な調査をおこないながら、生徒指導・進路指導・道徳教育・総合的な探究の時間の現状と問題点、改善の方法について、現場の協力を得ながら、研究を進めている。
求める学生像
生徒指導・進路指導・道徳教育・総合的な探究の時間を主要な検討の対象としているが、学校に限定しこの問題に特化して考察することは、それほど意味がないと考えている。なぜなら、学校そのものが大きく変貌し、その意味を変えているからである。比喩的に言うならば、これまで行われてきた生徒指導・道徳教育は、過去の社会を前提としたものでしかない。未来では全くの的外れかもしれない。また、現代日本において激烈に拡大する地域的・階層的な格差は、生徒や生徒の家庭(保護者)が均質な存在であると仮定することも許さない。大学進学率ひとつをとっても、驚くべき格差がある。そのため知らなければならないことは多く、それらを貪欲に摂取・咀嚼する理論的な「体力」も必要とする。具体的には、現代社会の変貌の理論的な把握(哲学・思想の検討)から、現代社会の現実的な把握(学校はこの社会に包摂されている)、現代日本の文化的な把握(正統文化がなく、サブカルチャーの雑多な束)は必須である。これらのことは、どこへ進むかを考えながら、進み方を考えるしかない現代社会が強いていることである。専門分野では、旺盛な知的な関心と、理論的な摂取と、学校・地域社会の現実から学びとる「体力」が必要である。そのような院生を歓迎したい。